ギンイロノナミダ - Essay

Essay

51. パソコンとわたくし

通算6台目のパソコンになりました。ついにWindows2000。苦節5年、ようやくセレロン1.3Gですよ。

最初のパソコンが1983年に買ったNECのPC-8001mk2。当時はZ80/4MHのCPUだったんですよ。 あれから16年、CPUの速度も500倍以上になったんですね。 当時は「ソフトは買うものではなく、作るもの」という意識がありましたね。 ま、別に作らなくとも雑誌にプログラムが掲載されてたんで、それをひたすら打ち込んでたんですが。 そういえば、かなりビックリしたことがありました。 某コンピュータ雑誌に同じパソコンを使用している同姓同名の方のプログラムが掲載されたんですね。 学校に持ってって友達に自慢したりして。まぁ後でバレたんですけどね。でも、自分でも結構作ってましたし、学校の先生に成績集計プログラムなんてのも作ったこともありました。今とやってることがあんまり変わらない気がしますが。 ちなみに初代80mk2は1983~1988年まで現役でした。

で、次に買ったのがPC-8801MA2。1988年当時は「ゲームは88!」なんてこと言ってまして。 すごかったですよ。シャープはX1からX68000、富士通はFM-77AVからFM TOWNSに変遷を迎えてました。 NECも8801シリーズに見切りをつけた頃じゃないかな。 すぐにPC-9801シリーズにとって代わられましたもんね。 でも、この88MA2、意外と使えるヤツで、大学時代のメインマシンでしたね。 統計のレポート書いたり、音楽(FM音源ってヤツね)演ったり、ゲーム作ったり。 ま、主にゲームだったんですが。統計で標準偏差とか計算すると3時間くらいかかったりするマシンでした。 CPUはμPD70008AC-8/8MH。8801シリーズでは最速、最強のマシンだったと思ってます。 88MA2は今の仕事に就くまで使ってました。1988~1997年、既にWindowsマシン全盛期の頃でした。 学生時代にWindows95が発売され、電気店に徹夜で並ぶ行列をテレビで見てました。 「別次元の世界だなぁ…」って思ってましたね。

そんな別次元の世界を必要に迫られて体験することになったのが1997年。 今の仕事で必要だということでWindowsマシンを買いました。 IBMのAptiva-J3X。既に型落品だったのですが、ビギナーだったんで問題ナシです。 後でメモリの増設とか、CPU交換とかすればいいやなんて思ってましたんで。 基本操作を覚え、カスタマイズして、何度も再インストールする羽目になって…。 メモリも増設して32MB→96MB、CPUも133MH→OD200MHになりましたし。 でも88MA2のメモリなんて192KBでしたからね。単位の桁が違いますもの。 結構遊び甲斐のあるパソコンでした。今でも実家で現役だそうです。

1999年に、これまた必要に迫られてノートパソコンが必要になりまして。 部署を超えての仕事で、持ち運びが必要になったんですよ。 このとき、一目ボレをしたMebius PC-PJ1-M3を購入しました。 折りたたむとビデオカセットより薄い、お洒落な銀色のボディ。 枕元に置いて寝転んだまま使えるというのも魅力でした。 愛称は「めび太君」仕事では単体で使用し、家に帰れば家庭内LANでインターネット。 全てに使えるパソコンでした。 あ、いやいや、「でした」と過去形で書きましたが、まだ現役です。 ただ最近、電源ケーブルと内蔵バッテリーの調子が悪くて…。 使用中に電源が落ちることが多々あるんですよ。 修理に出さないといけないんですけどねぇ。

そのメビ太君に取って代わろうとしているのが啓六君です。 コイツは知り合いの方から譲っていただいたもので、 貰ったときはHDD1G、メモリも64MBと貧弱だったのですが、 増設を施しまして、HDD20G、メモリ256MBとなったのです。 しかしこいつはかなりの不安定野郎で、 人間で言えば躁鬱病みたいなヤツで。 調子のいいときには快適なんですが、一旦ヘソを曲げるととことん駄目で…。

で、ようやくセレロン1.3Gの登場です。 ま、今時1.3なんてザラなんでしょうけど、わたくしにとってみれば画期的なんです。 コレまでの経緯が上記の通りなものですから。 まだ愛称はありません。 というか、手元にも届いていません。 ただ、末永く付き合っていこうと思っています。

5年後にはもっと凄いのが出てるだろうことを予測しつつ…。

追記:Aptiva-J3Xは既に臨終していました。まためび太くんもHDDが飛んでいました。啓六君は押入れで眠っています。南無~。

(2002.7.29、追記2004.9.9)