本当は分かってる2度と戻らない美しい日にいると

そして静かに心は離れてゆくと

 

過去はもう戻らない日々だと分かっている。分かっているけれど、あの美しく輝いた日々をもう一度過ごしてみたいと願っている。もちろんそんな願いが叶わないのは百も承知だ。僕らは過去に生きていてた。そして現在を生きていて、未来に向かって生きていくのだから。

少しずつ心が離れだした瞬間に戻っても、きっと、いつか、同じ運命を辿るような気もしている。あのときサヨナラを言ったけど、本当の意味でのサヨナラはこれからずっと先に来ることも知っている。その瞬間までサヨナラは言わずにいるよ。

(引用:小沢健二「さよならなんて云えないよ(美しさ)」)

さえない毎日にもううんざりで逃げ出したいようなここ最近です

そんな風なお兄さん昔を思い出しませんか

 

仕事でもプライベートでもここんとこちょっと冴えない毎日で、なるべく感情を露わにしないよう、努めて冷静に対処しようと思ってんです。もし逃げ出せるならそれが一番いいんだけれど、それもできないし、大人って難しいね。

昔は良かった、なんて爺さんみたいだけれど、昔には悪かったこともあって、その悪い思い出は忘却の彼方なんだよな。それを鑑みると将来の僕が今の状況を振り返っても何も思い出せないに違いない。きっと楽しいことだけ思い出せるんだ。

(引用:KAN「DISCO 80’S」)

いたずらをして怒られても「ごめんなさい」の一言を

誰かに言えばそれでよかったあの頃にはもう戻れない

 

音楽を聴いていて、ふとその歌詞の情景が浮かび上がることがあります。それは過去に自分が体験した景色だったり、想像の産物だったり、映画やテレビで見たものだったりするのですが、自分が体験して、しかもその体験が自分一人もしくはもう逢えない人との体験だったりすると、共有することができなくて苦しい思いをすることがあります。

頭の中に浮かび上がる光景を表現する術を知りません。こんなとき、絵画で表現したり言葉で表現したりできる人を心から尊敬します。拙い言葉をつないでなんとか表現しようと苦心していますが、それは誰しもが苦心していることなのでしょう。

小学生の頃の夏休み、蝉の声がやけに煩く、入道雲は遥か彼方で山のように聳え、僕らは些細な悪戯を繰り返し、親にこっぴどく怒られていた。そんな情景を描きたいのに言葉がうまく出てこない。ごめんなさいと言っても許されないのは僕がもう子供ではないからなのか。

今、一番欲しい言葉は「大丈夫、許してあげる。」って言葉だと思う。多分簡単には許してもらえない。それくらい非道い事をしていたから。もう戻れないんだよ。

(引用:槇原敬之「PENGUIN」)

もっと勉強してればよかった

すべて大人の言う通りだった

 

自分に必要な学問ではなく当時の受験に必要な学問しか勉強していなかったので、もっと自分の興味があることについて勉強しておけばよかったと今頃になって思うのです。それでも社会人になってから学校には通ったりしたんですよ。英会話とか。まさか入学して5ヶ月で閉校してしまうなんて思わないじゃない?

心理学とか、統計学とか、人間行動学とか、きっと社会に出て役立つことは多々あります。社会に出てからも学ぶことがたくさんあります。もっと勉強してればよかったなんて言ってる暇があったらもっと勉強しなきゃと思うのです。とりあえず本読むぜ!

(引用:KAN「東京熱帯SQUEEZE」)

16年も昔のかびのはえた話題で

毎年同じように飲んで笑える

 

今日は成人の日でしたね。里帰りして旧交を温めてる人も多いのでしょう。いいですね、そのうち会えなくなる人もいるので今のうちにどんどん温めておくといいと思います。

会えなくなるってのは悲しいものです。いつかは会える、そう信じていてもそのいつかが永遠に来ないこともあるのです。もし、毎年同じように会えるのならば、それはきっととても幸せなことだと思うのです。

(引用:KAN「West Home Town」)

相当がんばり過ぎたね少し休もう

丘にすわり雲と話をしよう

 

少し疲れてんのかもね。そうだよね。仕事始めから一週間連勤だもの。身体も胃腸も肝臓も少し休ませよう。とりあえず今日の仕事が終わって打ち上げ終わって明日から考える!

誰もいない公園で青い空見上げてぼぉっとしたい。もしくは昔よく行ってた海岸で海風に吹かれて鈍色の冬の海眺めたい。まだ寒いかな。あったかい缶コーヒー飲みながらなら大丈夫かな。

(引用:KAN「ときどき雲と話をしよう」)

靴底をすりへらし踊ってた人ごみにまぎれ

ひとりぼっちの夜には思い出たちあらわれては消える

 

もう随分と踊ってないんですけど、久し振りに踊ってみたいなぁ、なんて。身体が覚えてるステップは踏めるだろうけど、細かい振りとか覚えてないので、1曲通して踊れるものはないだろうな。

あの頃、って90年代ですけど、ホントしょうもないことに一生懸命で、理屈なんて関係なくて、まっすぐ自分の信じたものだけ見つめて生きてたなって気がします。今は靴底が磨り減るほど何かに夢中になることなんて…。これから先にあるのかな、そんなこと。

(引用:KAN「セルロイドシティも日が暮れて」)

もしぼくが君と出会わなかったら

ぼくたちはどんな二人だったでしょうね

 

人の出会いなんて偶然の産物だと今でも思っています。だって人生が交差することなんてまずない人間がある一点で交わり、それ以降も交わり続けるのか、それともその一点だけで終わってしまうのか、数学でいう「ねじれ」の位置にある人との人生なんて一生交わることがないのです。それを考え出すと自分の人生が恐ろしくなり、あまりの恐ろしさに眠れなくなってしまいます。

人生に「もし」なんて言葉は使えないとわかって10余年、けれど「出会わなければよかった」なんて出会いはまだありません。出会ってそして別れて、そのことで苦しんだとしても、その苦しみだってきっと僕には必要なことだと思っています。ずっと隣にいる君も、もう二度と会えない君にも、またいつかどこかで会えると信じている君とも、出会えたことは僕にとって永遠の宝物なのです。

(引用:KAN「永遠」)

夕焼けを見てたら悲しみはふくれだし

涙など出るのかと思ったらそれより先に沈んでた

 

晴天の日はもちろんなんですが、曇天の日なんかでも夕焼けはやたら綺麗な日がありまして。鮮やかな橙色に染まる空も好きなんですが、世界の終わりみたいな色をしている夕空もそんなに悪くないと思っています。気分的にはあんまりいいもんじゃないんですけど。

そもそも、僕は夕焼けが昔から大好きで、唱歌「夕焼け小焼け」で小学校の頃から涙できるほどです。過去にいろんな人といろんな夕焼けを見ましたが、忘れられない夕焼けが一つだけあります。誰にも教えたくないし、きっと、二度と同じ場所で見られない夕焼けです。

職場の窓から見えた昨日の夕焼けも涙が出そうなほど綺麗でした。終業後写真を撮ろうと外に出たらそれより先に沈んでました。おかげで涙を流さずに済みました。

(引用:KAN「涙の夕焼け」)

なにがどうなってこうなっちゃたのあながすべてってあれウソだったの

どうやらオイラがバカ見ちゃったの

 

ちょっと真面目な話。

どうやらね、自分でも薄々気付いてたんですが、まさかねーなんて思ってたのです。だって仕事は普通にこなせるし、他人との会話もそれほど苦じゃないし、家庭でも職場でも友人にも普通に接せるので、大したことないだろうと思っていたのです。

でもどうも精神的に不安定で。突然訳分かんなく涙が溢れたり、やたらと過去を引き摺ってみたり、当時の友達にとんでもないメール送ってみたり、人付き合いに嫌気がさして(けして他人の所為ではなくあくまでも自分自身に問題があります)いろんなSNSやめてみたり。もう最近仕事と家庭以外でのやることがメチャクチャ。なにがどうなってこうなったのか、なんとなく予想は出来るのですが、それもまた違うような気がして。鬱まではいかないけど、心の風邪とでも言えばいいのかな。

そんなわけで誰かいいクリニックあったらおしえてください。

(引用:KAN「おしえておくれ」)