ウは宇宙のウ

このシリーズは思い出話ばかりだ

昭和61年(1986年)、まだ中学生だったマナブ少年(13)はワクワクしていた。ワクワクしていたのは僕だけではなく、イケメンの吉田君やオタクの松崎君やテニス部キャプテンの金丸君もワクワクしていた。76年に一度のハレー彗星地球大接近。名ばかりの天文部に所属していた僕たちはハレー彗星が何たるかも知らずにワクワクしていたのだ。

ハレー彗星が見えるの当然ながら日が沈んだ真夜中である。親にも先生にも「ハレー彗星の観察」ということで免罪符を貰い、夜な夜な吉田君の家に集まりハレー彗星を双眼鏡で追い求めていた。「あ、あれじゃねーの?」と肉眼でも観察できるほどに宮崎の田舎は空が澄んでいた。それにロクに勉強もせず、ファミコンもそれほど普及していなかったので田舎育ちの僕たちは5km先のチーターとヒョウとメスライオンを見分けるほどができるほど視力が良かったのだろう。実際に5km先のチーターとヒョウとメスライオンを見分けたことなど無いのだけれど。

あれは忘れもしない4月24日。皆既月食が重なり、ハレー彗星を見ることができる最後のチャンス。双眼鏡を手にした金丸君。この日のためにお年玉貯金をはたいて望遠鏡を買った吉田君。そして親に車を出してもらい望遠鏡を吉田君宅まで運んだ僕。松崎君はポテトチップス食ってた。

夜中に少年たちとその親がワイワイ騒いでたところ、近所の住人も集まってきた。クラスのマドンナ溝下さんのお母さんも寒空の下にやってきた。溝下さんが来ていなかったのが一番の心残りだったのだが。

慣れない望遠鏡のセッティングに戸惑いながら、ようやくハレー彗星に照準を合わせた僕らは自慢気に「今見えますよ!どうぞ!」と望遠鏡を譲った。周りの大人たちが望遠鏡を覗き込み「ほぉ」だとか「へぇ」だとか間の抜けた感嘆の声を上げるたびに僕らは優越感に浸ったものだ。

そしていよいよ溝下さんのお母さんが覗き込んだ。僕らは皆一様にドキドキしていた。ここでいい所を見せればきっと溝下さんのお母さんから溝下さんにいい評判が伝わるかもしれない。唇をぎゅっと噛み締め、こぶしを握り、溝下さんのお母さんの感嘆の声を待ち望んだ。

「いいものが見えたわ~」そうでしょう、お母さん。この望遠鏡をセッティングしたの僕なんですよ。ハレー彗星は地球の自転に加えて彗星自体の公転の動きもあるので追い続けるのが難しいんですよ、と宇宙談義を語ろうとしたところ、続けてお母さん「いい冥土の土産ができました。」

子供たちも大人たちも全員黙りこくってしまった。溝下さんのお母さんは僕らのお母さんより一回りほど年上だったからね…。

あれから21年。あと55年でまたハレー彗星がやってくる。もう一度見れるかな、ハレー彗星。

明日は「エ」かぁ。