まず1ヶ月

今年の目標としてアウトプットを増やすことを掲げたが、まずは1ヶ月毎日更新をやってみた。なんとか1ヶ月を完走できたようだ。

インプットが多かったかと言えばそうではない。日々のニュースすら取り上げることもできず、自分の思いだけを書き綴るだけの日々だった。日々の生活の変化が乏しいけれど、それでも毎日何かしら書くことができたのは少しだけ進歩したのではと自画自賛したい。

日々の生活に少しだけ何かしらチャレンジをしてみようと思う。これまで毎日違うスーツ、違うネクタイで出勤していたけれどしばらく同じスーツとネクタイで出勤してみてはどうだろうか。おそらく誰も気付くまい。同僚の服装の変化にすら気付いて無いのだから。

無神経すぎるのは自分だけかも知れないけれど。

休暇ではない

「育休中の学び直し」発言でいろいろと波紋が広がっております。そもそも「育休」を「育児休暇」の略だと思ってるからおかしいのじゃなかろうか。「育休」は「育児のために業務を休業する」の略だとすればしっくりくる。育児のために自分のリソースを全て注ぐので本来の業務なんかできない、況や学び直しをや。

そもそも現状でも学ぶことは難しい。日中は会社等で業務をし、帰宅後は家族のために家事をしなくてはならない。世の親は大変なのである。できればトップに立つ人はその辺りに想いを馳せる人であって欲しい。

私も平日は仕事で帰宅が遅くなり、帰宅後はいろいろなルーティンワークをこなさなくてはならないのでおちおち飲酒もできない。平日に飲酒ができるような生活が送りたい。

可能性と老獪さ

若さとは素晴らしい。これまで誰も無し得なかったことにチャレンジし、それを成功に結びつける力がある。体力と集中力があり、なんなら時間もある。ないのは財力くらいだろうか。最近はそうでもないのか。

歳を取るにつれ体力は減り集中力は欠け時間は思ってもいない方向に削り取られる。財力があるかと思えばそうでもない。トンカツ一切れで胃もたれするくらいだ。かの池波正太郎先生も言っていた。いいかい学生さん、トンカツをないつでも喰えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。と。できればある程度若い時にそうなって欲しい。そのうち本当に胃もたれするんだぞ。

最近はいかに体力を使わずに仕事することばかりを考えている。経験が増え、ずる賢くなっている。若い頃の情熱はもはやない。

世間を批判するつもりはないが、老獪さよりも若さの情熱や可能性を認めて欲しい。もう僕は認めてもらわなくてもいいから、これからの若者へ道を開いてあげて欲しい。

(本日、高校の卒業制作展を見た感想)

恐怖の対象

理解ができないものは怖いと言ったのは誰だったか。人間は自分が分からないもの、理解できないものに対して恐怖を覚えるようだ。超常現象や幽霊がその例だろう。もし科学的に証明され、それが理解できるようになったら恐怖からは解放される。残るのは気持ち悪さだけだ。

小学生か中学生の頃、欠損もしくは過剰なものについても恐怖を感じると読んだことがある。蛇やムカデを怖いと感じるのはそのためだとか。蛇に足があり二足歩行していたらそれはそれで怖いとは思うのだけれど。

恐怖を克服するためには理解が必要だ。なので君を怖いと思っているけれど理解すれば怖くなくなるはずなんだ。もっと君を理解したい。どうだい今夜一晩。

「あなたが一番怖い」

捏造される記憶

近所の酒屋が1月末で閉店することになった。ここは帰宅中に寄れる唯一の酒専門店でいつもお世話になっていた。これからどこでお酒を買えば良いのか。

酒屋の良いところはやはり酒に特化している点である。あまりお目にかかれないお酒も取り扱っていて、若かりし頃、カクテルに凝っていたときは様々なリキュールをそこで買い揃えたものだ。もちろん、カクテルなんかそんなに飲むことはないので余らせてしまったのは若気の至りだ。

もちろん簡単なおつまみやスナック菓子なども取り扱っており、子どももあれ買ってこれ買ってとねだることができるので重宝していた。自分も幼い頃は父に魚肉ソーセージをねだったものだ。

はて、私がこの地域に住み始めたのは学生時代だった気がする。幼い頃、父に連れて行かれたのはこの店ではないと思うが、あの記憶はなんだろう。どうやら記憶が混乱しているようだ。閉店セールだからとついつい買いすぎてついつい飲みすぎてしまったようだ。

太陽の技術

先日、プロカメラマンが撮影している現場に遭遇した。表情のぎこちないモデルからいい表情を引き出すために言葉巧みに被写体の心を解してゆく。現代の北風と太陽の太陽みたいだと思った。

私は詳しいことをよく知らないのだけれど、アダルトビデオの一ジャンルには素人を言葉巧みに煽り出演させるものがあるという。いや、本当によく知らないのだけれど、そのようなものがあるという。非常にけしからん。いや、よく知らないのに勝手に怒るのは失礼だと思う。そのうちこの件についてはしっかりと検証をしたい。

ただ、カメラマンの技術とそのジャンルのアダルトビデオの監督の技術は似ているなと思った次第。思わず言いなりになってしまう。そう言えば胃バリウム検査での検査員の指示にも思わず従ってしま自分がいる。どうやら何かしら撮影をする職業の人は人を操る技術を持っているようだ。いつか胃検診の際に全裸になってしまうかも知れない。気をつけよう。

意味がないとは思っている

これまで当たり前だった使い勝手をより良くするために便利なグッズが開発され、いつしかそれに慣れてしまうとそのグッズが使えなくなった途端に不便を感じる。昔の当たり前に戻れない。これは進化ではなくて退化ではないか。

そんなわけであえて不便な道を選んで生きてみることにする。意外と快適かも知れない。ちなみにこの文章は手書きしたものをスキャナで読み込みOCRを使い文字をテキストデータ化してアップロードしているとでも思ったか。そんなこと思いついたとしてもまず実行しない。そもそもこんな思いつきを文章にすること自体が無駄だと思う。

不便と無駄な手間は違うんだ。違うんだけれどもどちらも大好きだ。よく読むと全く意味がなく時間の無駄だと言われる文章を書くことが好きなので、これを生かした仕事がないものだろうか。例えば偉い人が式典とかでダラダラと話す挨拶文とか。あれって誰も聞いてないし(以下検閲)

目的外使用

「多目的トイレの目的外使用」って「多機能ボールペンが機能不全」と同じニュアンスなのかな。あと、目的外使用って何したんだろう。ホットプレート持ち込んで焼肉でもしたのかな。僕よくわかんない。

自分よりも手帳を信じる

スケジュールやタスクを管理するのに手書きで手帳を利用している。スマホで管理したいのだけれど、会社のグループウェアが外部端末から接続できないので、結局手書きで管理することになる。令和5年だぜ?

で、いろいろと書くことが多いのでA5版の手帳を利用しているのだれど、心理カウンセラーの方から、大きい手帳を使うと精神的に疲れませんかと問われた。たくさん書ける手帳はついつい余白を埋めがちで、そのため余計な仕事までタスク化してしまうからだと。なるほど。これからは小さい手帳にスイッチせねばなるまい。

とはいえ、大きい手帳を使っているのには訳がある。小さい文字は見えないのだ。近眼だし老眼だし、もういろいろと辛いんだぜ。

あと、小さい手帳はどこに置いたのか忘れる自信がある。手帳は信用しているが自分は信用していない。

温故知新

実は1998年からホームページを公開している。まだ世間にインターネットが普及していたのかどうか定かではないが、すべての企業や公の団体がホームページを持っていなかった頃だと思う。我ながら先見の明があったと思う。

人生の半分くらいの期間にインターネットが存在している。最近の若者は生まれた頃からスマホがあったかも知れないが、あんな実名で仮想空間に己を晒すSNSなんて恐ろしくて登録すら躊躇われたものです。ところでまだmi✖️iって生きてるのかな。

何らかの拍子にインターネットが遮断され、コンピューターが動かなくなってしまったとしたら、生き残れるのはインターネットが存在しなかった時代を生き抜いてきた世代だと思ってしまいます。

お年寄りを大切にしようって、そういうことだと思います。備えあれば憂いなしです。多分孔子の論語に書かれてあると思います。知らんけど。孔子の言葉で知っているのは「巧言令色鮮なし仁」です。意味は知りません。