シはシエラレオネのシ

なぜか頭から離れない

小学生か中学生の頃、首都当てクイズってのを友達とやってて、もう在り来たりな国では満足しきれなくなったので、地図帳をくまなく探し、聞いたことも無い国を問題として出していた。そんで頭から離れないシエラレオネ共和国。首都はフリータウン。どこにあるのか、どんな国かなんてこれっぽっちも知らない。

もうひとつ忘れられない国がブルネイダルサラーム。首都はバンダルスリブガワン。どこで区切るのかすら見当つかない。なんとなく暖かそうなイメージがあるのだが、ひょっとしたら北国かもしれない。

ちなみに先ほどネットで調べてみたところ、シエラレオネ共和国はアフリカ大陸にあってギニアの南に位置する熱帯気候の国で、ブルネイダルサラーム国は東南アジアのボルネオ島にあって、やっぱり亜熱帯性の気候。童謡「おおブレネリ」に似ているからと言ってスイスの近くではなかったみたいだ。

うん、フィーリングで書いてみた。ブルネイとブレネリ。そんなに似ていない。

サは寒いのサ

部屋の中で凍死しそう

なんなんすかーこの寒さー!あのね、俺がまだ若い頃は冬はこんなに寒くなかったはず。小学校なんて毎日半ズボンで通学してたんだから。高校卒業までコートなんて着たことなかったんだから。おかしい。何かおかしい。地球温暖化とか言ってるくせにこんなに寒いなんておかしい。日本列島の地盤が北に移動しているに違いない。天変地異の説明もつきそうじゃない、日本列島北上説。誰も相手にしないだろうけどサ。

春が待ち遠しいです、ホント。今は酒の所為で頭の中は花畑なんですけどね。うふふ。うふふふふふふ。(気持ち悪い)(いや、飲み過ぎじゃなくて)

コはCoCo壱番屋のコ

2ヶ月に1回のペース

カレーなんて家で作ったほうが家計にも優しいし、自分の好きな調合で作ることができるにも関わらずついつい寄ってしまうCoCo壱番屋。今ではセクシー女優になってしまった三浦理恵子を擁していたCocoとはなんの繋がりも無いと思う。ちなみにCocoの他のメンバーは羽田恵理香、宮前真樹、瀬能あづさ、大野幹代だったはず。宮前真樹は春麗のコスプレをしてCDを出していた記憶があるが。他の人は知らない。

そのCocoとは何も関係のないCoCo壱番屋。配達もしてくれるので、カレー好きかつ面倒臭がりの俺には願っても無い店舗なのだが、いつも頼むのはナスカレーである。別にナスが大好物とかそんなコトではないのだが。

CoCo壱番屋のメニュー表を見れば分かると思うが、様々なメニューがあるにも関わらず、実はほとんどのカレーはポークカレーに何某かをトッピングしているだけなのである。ナスカレーはポークカレーにナスをトッピングしているだけなのだ。

悔しい。こんなこと気付かなければ良かった。ナスカレーはナスカレーで単独に存在していて欲しかった。夢の「ナスカレーにナスをトッピング」なんてできるはずが無いのである。何度も言うがナスが好物とかそんなんじゃないから。

明日は「サ」。まだサ行やタ行はなんとかなると思うけど、ナ行やラ行ってどうしよう。先行き不安。

ケはケミカルウォッシュのケ

どこに消えたんだ

今では絶滅危惧種に指定される勢いの80年代に一世を風靡したケミカルウォッシュジーンズ。ジーンズと言うにはおこがましい。あんなものジーパンで十分だ。むしろGパンだ(同じです)

ケミカルウォッシュが消えてしまったのは流行の他にも要因があるそうです。加工時に使用した廃液が環境汚染につながるらしいのです。なるほどイケイケドンドンのバブリーな時代のウォッシュですね。

ワタリが太めで裾がスリムなGパン。今更ながらに見てみたい。履く勇気はとても無いので、誰か履いているところの写真を送ってくださいませんかね。

そういえば学生時代にやたら黄色いTシャツと一緒にジーンズを洗ったらうっすら緑色になって二度と履けなくなったことを思い出しました。色移りするジーンズなんてジーンズなんかじゃない。あんなものGパンで十分だ。

更新ぎりぎりだよ、もう。

クは苦しいのク

最近ちょっと

ネタに困らないだろうと始めた50音更新も段々と辛くなってきました。更新もホントギリギリになってしまってます。

そんなわけでこれから明日の「ケ」を考えるので今日はここまで。ズルイとか言わないでいただけるとこれ幸い。

毎日の更新以上に大変な作業を今行なっておりますので、ホントご容赦いただきたい。

キはキスのキ

漢字で書くなら鱚

色っぽい話ではありません。魚篇のキスです。天ぷらにすると美味いキス。小学生の頃は海のそばに住んでいたのでヒマさえあれば親父と釣りに行っていた。今考えたら親父も結構家族サービスに勤しんでいたのだなぁ。

目標となる魚はキスなのだが、面白いくらいにヒトデが釣れていた。チヌを釣りに行けば必ずと言っていいほどフグが釣れた。俺は何が釣れても結構楽しかったのだが、夕食のおかずにならない魚たちはことごとく親父の手により葬られた。いや、正確には葬らずに放っただけなのだが。

大漁の夜は釣り談義に花が咲いた。俺と親父であのときはああだった、逃がしたのはかなり大物に違いなかったと騒ぎ、おふくろと妹は笑いながらそれを聞いていたのだ。今ではなくなってしまった日本の団欒がそこにはあったのだ。

昔を思い出すのは歳をとった証拠だと誰かが言っていたが、それはそうだろう。今年俺はあの頃の親父の歳になる。

少ししんみりした日記でスマン。

オはおっとっとのオ

そろそろ飽きてきた

森永おっとっと。初めてその菓子を口にした小学生の俺は思わず吐き出した。「海の味がする…」そんな出会い。

昔はガキだったからかもしれないが、初めて口にするものは大抵不味かった。ポカリスエットなんて衝撃だった。何が美味いんだあんなもの。

ところが年が経つにつれ食べられなかったものまで食べられるようになった。おっとっとは酒のつまみにちょうど良かったし、スポーツで汗を流した後はポカリスエットだった。大人になるってのはこんなことなのかと少し悲しくもあった。

今ではカニミソもウニもイクラもアンキモもシラコもナマコも食べられるようになった。もちろん普通に生活している上でそんな珍味は口には入らないのだけれど。

10年後にはまた違ったことを言っているかもしれない。10年後には納豆が食べられるようになっているだろうか。

エはエンストのエ

こんな語尾はいかがかね

今日のお題の前に訂正とお詫びを。「S is for Space」の邦題は「スは宇宙(スペース)のス」ですね。「R is for Rocket(邦題:ウは宇宙船のウ)」と混同していました。お詫びして訂正いたします。

それはそうとね、この前ね、久しぶりにエンストこいたのね。しかも路上でね。危ないよね。いつか死ぬよね。しばらく運転してなかったからだとは思うんだけどね。

ね、更新を忘れてたのはきっと身体がエンストしちゃったからなのね。なんか知んないけど最近泥のように眠るのね。落ちるのも早いのね。死ぬ前なのかしらね。

実際にこんな喋り方している人の話を聞いていたらソイツを永久にエンストさせたくなるよ。なんか無理矢理な内容だな今日は。

ウは宇宙のウ

このシリーズは思い出話ばかりだ

昭和61年(1986年)、まだ中学生だったマナブ少年(13)はワクワクしていた。ワクワクしていたのは僕だけではなく、イケメンの吉田君やオタクの松崎君やテニス部キャプテンの金丸君もワクワクしていた。76年に一度のハレー彗星地球大接近。名ばかりの天文部に所属していた僕たちはハレー彗星が何たるかも知らずにワクワクしていたのだ。

ハレー彗星が見えるの当然ながら日が沈んだ真夜中である。親にも先生にも「ハレー彗星の観察」ということで免罪符を貰い、夜な夜な吉田君の家に集まりハレー彗星を双眼鏡で追い求めていた。「あ、あれじゃねーの?」と肉眼でも観察できるほどに宮崎の田舎は空が澄んでいた。それにロクに勉強もせず、ファミコンもそれほど普及していなかったので田舎育ちの僕たちは5km先のチーターとヒョウとメスライオンを見分けるほどができるほど視力が良かったのだろう。実際に5km先のチーターとヒョウとメスライオンを見分けたことなど無いのだけれど。

あれは忘れもしない4月24日。皆既月食が重なり、ハレー彗星を見ることができる最後のチャンス。双眼鏡を手にした金丸君。この日のためにお年玉貯金をはたいて望遠鏡を買った吉田君。そして親に車を出してもらい望遠鏡を吉田君宅まで運んだ僕。松崎君はポテトチップス食ってた。

夜中に少年たちとその親がワイワイ騒いでたところ、近所の住人も集まってきた。クラスのマドンナ溝下さんのお母さんも寒空の下にやってきた。溝下さんが来ていなかったのが一番の心残りだったのだが。

慣れない望遠鏡のセッティングに戸惑いながら、ようやくハレー彗星に照準を合わせた僕らは自慢気に「今見えますよ!どうぞ!」と望遠鏡を譲った。周りの大人たちが望遠鏡を覗き込み「ほぉ」だとか「へぇ」だとか間の抜けた感嘆の声を上げるたびに僕らは優越感に浸ったものだ。

そしていよいよ溝下さんのお母さんが覗き込んだ。僕らは皆一様にドキドキしていた。ここでいい所を見せればきっと溝下さんのお母さんから溝下さんにいい評判が伝わるかもしれない。唇をぎゅっと噛み締め、こぶしを握り、溝下さんのお母さんの感嘆の声を待ち望んだ。

「いいものが見えたわ~」そうでしょう、お母さん。この望遠鏡をセッティングしたの僕なんですよ。ハレー彗星は地球の自転に加えて彗星自体の公転の動きもあるので追い続けるのが難しいんですよ、と宇宙談義を語ろうとしたところ、続けてお母さん「いい冥土の土産ができました。」

子供たちも大人たちも全員黙りこくってしまった。溝下さんのお母さんは僕らのお母さんより一回りほど年上だったからね…。

あれから21年。あと55年でまたハレー彗星がやってくる。もう一度見れるかな、ハレー彗星。

明日は「エ」かぁ。

イは生け簀のイ

志布志大黒活き造り

宮崎に住んでいたころは、外食となると和食、しかも魚系の和食屋がほとんどで、洋食屋に行った記憶がほとんどない。たまに洋食屋に出かけても 甘いカレーを食わされる憂き目を見るのがオチ だった。

しかし、なんつうか、宮崎の和食屋はほとんどに水槽もしくは生け簀があり、その中で泳いでいる魚たちは子供の目を惹きつけ、むしろ食事そっちのけで魚ばかりに目がいってしまうのである。俺もその中の一人だったのだが。

幼い頃は想像力が足りなかったなと今になって思う。生け簀の魚やエビを見て「うわぁ~お魚さんカワイイなぁ~」と見つめていた俺には、ソイツらが今から我が腹に収まる運命にあることを想像できずにいたのだから。

あれから二十数年経ち俺もようやく大人になった。今では水族館の水槽を眺めても「カワイイ」と思うより先に「美味そう」と思えるようになった。大人ってなんだろう。

明日は「ウは宇宙のウ」。うん「S is for Space」の邦題そのまんま。