誕生日ありがとう

30歳になりました。
朝帰りをしたので、生まれたであろう時間は友人宅だったと思う。

昨夜は職場の先輩、後輩、同期入り乱れての飲み会でした。
名目は「轟先輩誕生日イブイブ、マナブ先輩誕生日イブ&離婚激励、
新生高雄ブルックスサッカーユニフォーム新調記念」らしいが、
すべて酒を飲む言い訳。
ただみんな大騒ぎをしたかっただけ。
おかげですごく楽しい誕生日イブを過ごさせていただいた。
トドロキ先輩、ミヤザキ先輩、カドヤさん、マエダくん、ヤノくん、コバヤシくん、
マナベくん、オトザイさん、キチセさん、サイトウさん、クボタくん、トクシゲくん、
あと遅れてきたらしいヤマグチくん、
ありがとう。

みんなと分かれて近くに住む友人に電話。
彼女も職場の飲み会とかで、ちょうど今から帰るところだった。
そんじゃ、合流しようということになる。
彼女の友達も交えて朝近くまで談笑。
結局友人宅にお世話になる。
タホリさん、ミネオさん、ありがとう。

帰宅後、別れた相方からFAXが届いていた。
火曜日に荷物を全て引き取りに来るとのこと。
相変わらず身勝手。こちらの都合はお構いなし。
ま、今に始まったことではないし、
今更いがみ合ったりケンカしたりしても仕方ない。
どうぞご自由に。
ただし、これは財産分与に当たるので
双方、若しくは代理人の立会いが必要になるんじゃないかなぁ。
この2ヶ月、俺は俺なりに最悪の場合も考えて
離婚についてもいろいろ調べてたからさ。
行き当たりばったりで行動してる彼女とはわけが違うわけで。

ま、家具のほとんどがなくなるので午後から家具を買いに行った。
自由に部屋を作れることの喜びを味わうべく、いろんな品を見て周り
結局4点(食器棚、テーブル、ソファー、たんす)を購入。
夕方には電気屋に行きテレビ、掃除機、レンジを購入。
なんかすっごく楽しかった。

夕食は実家でご馳走になる。
そのとき、30年間生まれて初めて両親に
「誕生日ありがとう」と伝えた。
そうだ、誕生日は「おめでとう」でもあるが「ありがとう」でもあるんだ。
30年前に俺を生んでくれた両親に心からお礼を言った。
散々迷惑をかけた。
でも、親だから無条件で許してくれた。
そんな親になりたいと思った。

まだ先の話だけど。

20代最後の日

まさかこんな精神状態で今日のこの日を迎えるだなんて予想だにしてなかったよ。
ほんの一週間前までは。

10代最後の夏の日。
つまり19歳の8月31日。
僕は夕焼けに染まる一人の部屋で泣いた。
大声を出して泣いた。
なぜ泣いたのかは覚えていない。
ただ、10代という儚げで濃密な時間を失うことが怖かったのだろう。

10代とは不安定だ。
子ども扱いされると腹を立て、
大人扱いされると責任が邪魔だった。
ただ時間だけは濃密で
終わることなどないと思っていた。
友人たちとの馬鹿騒ぎ。
夜の闇に包まれて
この夜がずっと明けなければいいと思っていた。

いつからだろう、夜が怖くなったのは。
明かりのない部屋で眠ることが怖くなった。
傍に誰かの体温を感じなければ眠れなかった。
明かりを点けたままの部屋の中で
僕は身動ぎもせず朝日を待ち焦がれていた。
朝日が昇るのを待って僕は眠りに就いた。

それでも
いつからか一人で眠ることができた。
それは強くなったからではなく
弱い自分を認めたからだ。
弱い自分を認めることで
一人の夜を一人で過ごすことができるようになった。

そうして僕は20代を過ごしてきた。
その間、一人で眠ることもあったし
誰かが傍にいたこともあった。
幾人との夜を過ごし
そして28歳の初夏。
一生この人の横で眠ろうと決意した人に出会った。

幾夜過ごしただろう。
その人の横で眠ると安心できた。
左腕に伝わる体温と重さが僕を安心させた。
この安心が一生続くと思ってた。

「人生は運とタイミング」
本当にそうだと思う。
巡り逢わなければ一生出逢わない。
巡り逢うときは絶妙のタイミングで出逢ってしまう。
僕らは出逢うタイミングを間違えたのだ。
その間違いに気付かないまま最悪の時を迎えたんだ。

20代最後の今日。
決意を新たにした。
今まで出逢ってきた全ての人々
これから出逢う全ての人々に対して
僕は感謝を忘れないよう生きていくことを。
それが君に対するせめてもの償いだと。

僕は一生君を忘れないように忘れる。
君が僕の傍にいた事実だけは決して変えられることはないから。

ありがとう。
愛していた。

運転免許証更新

一日休みをとって免許更新に行ってきた。試験場にくるのは何年ぶりだろう。前の彼女の免許更新に付き合って以来だから1年9ヶ月ぶりか。相変わらず愛想のない職員たち。しかし事務的な口調が心地よい。優しくされたら泣いてしまいそうだったから。

昨日の夜、別れた相方の職場から電話があった。彼女は仕事を辞めていたらしい。月曜日に。別れる1日前だ。つまり家具を運び出した日。彼女の母親は「指定休」だと言っていた。つまり、仕事を辞めたことは親にも言っていないはずだ。

どうして何もかもから逃げるんだろう。弱いからなのは知ってる。でも自分は強いと勘違いしている。強さとはそんなもんじゃない。弱いと認める勇気こそが強さだと思う。そして逃げ出さない勇気こそが強さの証だと思う。

彼女を愛していた。しかし今では同情というか憐憫の感情しか持ち合わせない。

彼女へのエール

えーっと、今回の件についてはきちんとまとめて書きましょう。

彼女と付き合いだしたのは2001年5月8日。
それから1ヵ月後に二人きりで旅行。
彼女の誕生日である7月30日にディナークルーズの船の上でプロポーズ。
しかし自らの生活力の無さを知っていたので
入籍を先延ばしにしていた。
11月22日(いい夫婦)の日に入籍したかったらしいが
そんなことはできるはずも無く(俺の貯金はほとんど無かったので)
貯金ができるまで待って欲しいと彼女を諭し、
しかし中途半端な貯金のまま
2002年2月22日、彼女に促されるまま入籍。
6月22日の挙式まで、大なり小なりの様々な衝突があり
新婚旅行から帰ってきてから完全に意見のすれ違いが起こっていました。
8月24日夜に怒鳴りあいの末
彼女「出て行けって言うなら出て行くよ!」
俺「なら出て行けっ!」
実は「出て行けって言うなら~」の行(くだり)は
二度目だったんです。
一度目は耐えたんですけどね。
やっぱ三度目まで耐えなきゃいけんかったかな。

それから彼女はずっと実家にいました。
話し合おうとする素振りすら見せてくれずに。
「仕事が忙しい」というのが主な理由で。
しかし、真剣に考えているならば
仕事が忙しくとも時間は取れると思っていました。
今思えば逃げたかったんだろうなと思います。

もういいよ。
思う存分逃げてよ。
その代わり、俺の前に姿を見せないでくれ。
恨むつもりはないから。
だからいい加減な気持ちで他の人も俺と同じようにこれ以上傷つけないで。
その歳よりも若く見える人懐っこい笑顔の裏に隠れた
我侭と自己中心的な考えで周りを傷つけないで。

新しい人生を歩く君への俺からのエールは以上です。

最後に。

最後まで俺に対してはもちろん
俺の両親に対しても謝罪や謝辞を述べなかった君。
今後の君の行く末を不安に思う。
反省なき者は同じ過ちを繰り返すと思うから。

8ヶ月目の破局

昨日、帰宅し玄関のドアを開けた瞬間。部屋の様子がなんかおかしかったんですよ。

で、びっくりしました。相方の家具が一切無かったんですよ。全くの連絡なしでこんなことされると頭も真っ白になりますよ。相方の携帯に電話するのですが、繋がりません。実家に電話するも、誰もいません。「家具とともに行方不明」頭をよぎるのは不吉な考えばかり。方々に電話をしました。知ってる限りの相方の友人に。ようやく連絡が取れたのが20時過ぎ。それまで気が気ではありませんでした。

ま、その後、いろいろあって。21時半過ぎに彼女と彼女の父親、私と両親の5人で協議をいたしました。結果、お互いに損得ナシで別れようという結果に落ち着きました。というか、そこにしか落ち着けませんでした。

今日、離婚届を書いて、合意書を交わして正式に離婚します。

おお、そういえば

先週月曜から禁煙しているのですよ。ようやく1週間が過ぎました。禁断症状も特に無く、このままなら正直止められそうです。

なぜか、俺を「女性」と勘違いしてらっしゃる方がいたそうで。まぁ、ネットなんて虚構の世界ですから俺がネット上での人格を形成しているといえばそれはあながち間違いではないのですが、でも、完全に別人格を作り上げるとなると精神分裂病、所謂「解離性多重人格障害」になりかねないのでそれはしてません。でも、内面を強く晒しているだけに表面上の俺しか知らない人間がここの文章を読んだらやはり「偽っている」と目に映るのだろうか。

最近お気に入りの言葉。「危険が危なくてデンジャラス」なんだかこれ以上の危険は無いって言うくらい危なそうな言葉じゃありません?いや、この言葉を発した人の頭の中が危険って意味で。

ダンスステージ

早めに寝ようと思ったのに寝付けなくてまぁ、昨夜帰宅したのが午前3時で。で、そのままいろいろしてたら午前6時になって、さすがに完徹だけは避けたかったので布団を敷いて11時まで寝ようと思ったけど、まどろむだけで終わってしまった。

出掛ける支度をして駅へ向かう。曇天模様の空。傘を持ってこなかった。

電車が遅れている。停電のため10分ほど。イライラが募る。挙句に駅を降りたら雨。濡れる覚悟で福岡サンパレスまで走る。

到着したらかなり濡れていた。しかし禁煙効果絶大。全然息切れしていない。止めて良かった。これからも続けようと決意。

リハーサルが終わり、待ち時間の間になぜか緊張してしまう。落ち着かない。友人がDJをしている番組を聴いて落ち着こうとするがなぜか落ち着かない。よって落ち着くことを諦め、テンションを上げていく方向に持っていく。上がり続けるテンション。

しかし今年はリラックスして踊れました。客席も見えたし。すっげー楽しかったよ。

タカヤマ夫妻、キミコさん&アヤカちゃん、カヨさん、トドロキさん、マツタケさん、サタケさん、ヨシダくん、マツザキさん、ツツミさん、見に来てくれてありがとう。

先生、それから一緒に踊ったみんな、ありがとう。また来年踊ろうね!

ちなみに行きも帰りも一人で、かなりブルーだったけどね。

二日酔い

昨夜、ダンスの先生と自宅で飲む。途中から記憶があやふや。目覚めたらガスコンロに散らばるジャガイモの破片。記憶の無いコンビニのレシート。転がるビールの空き缶。

って、なんか唄の歌詞みたい。いや笑ってる場合じゃねぇよ。

ダンスレッスン終了後、友人と飲む約束をしていたことをおぼろげながらに思い出し、連絡する。間違いなかった。昨夜、酔っ払ったときに約束をしていたらしい。10時半に待ち合わせして大名のバー、オスカーへ。3時間ほど話をした。かなり濃い話を。

俺は女性の友人が多い。それが良いことか悪いことかは分からないが、相方にとって見れば嫉妬の対象になるであろう。ただ俺にはその友人たちに恋愛感情はないし、友人たちも俺が結婚して相方を愛していることを知っている。友人たちはよき相談相手でもあるのだ。女性という視点で俺に様々なアドバイスをくれる。友人たちにも俺から男性という視点でアドバイスができる。誕生日プレゼントなんて良く聞かれるしな。

ま、今夜もその女性の友人と飲んだのだが、いろいろ話をして、励ましあって分かれた。

彼女でも相方でも家族でもない女性の友人は必要かもしれないぞ。

些細な事で泣く

「あのころは楽しかったね」この一文で仕事中に涙を流す29歳既婚。

誰かからのメールとかじゃなくて、何かの拍子にふと見つけた文章だったんですけど、そのたった10文字程度の言葉に涙腺を刺激され、目を真っ赤にしてしまいました。

「コンタクトがずれて…」なんて言い訳しようにも私は仕事中はメガネ派なので、どうにも具合が悪い。

仕方がないのでトイレの個室に入りしばらく泣き、気持ちが落ち着いたところで顔を洗い職場に戻った。

いっぱい思い出を抱えてる。それが楽しい思い出とか悲しい思い出とかは別として、思い出を抱えて生きることは素敵なことなんじゃないかと思った。

そして、それらを抱えた上で前に進むことも大切だと思ってます。

「ゴメンね」と「好き」

気持ちを伝えることがこんなに難しいものだとは思ってなかった29の秋。30歳の誕生日まであと10日を切りました。

苦悩してます、久々に。想いを伝えることがエゴになるのではないかと。私が自分勝手なことをして、また嫌われているのではないかと。つまり、私を嫌いだという人に対して「好きだ」と伝えることは迷惑この上ないのではないか。己の気持ちを黙殺すべきか。それとも全てをさらけ出して元に戻れぬ人間関係を作るか。いや、逆説的表現では分かりにくい。全てを伝え切って現在の曖昧な人間関係を崩壊させるか。

心臓が痛い。「胸」ではなく「心臓」が痛いのだ。しかも締め付けられるような痛さではなく、抉(えぐ)られるような痛さなのだ。身を削られる、しかも内側から。最近痩せてきたのは、煙草を止めたからだとか運動量を増やしたからだとか、そんな理由ではなく上記の理由によるものだろう。

「ゴメンね」と「好き」という2冊の写真集的絵本を相方に贈った。読んでくれると嬉しいのだが、伝えた気持ちを抹殺されるのは存在自体を否定されているような気がして悲しい。